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Dolls and Kokeshi List

京人形

平安時代、貴族の子らの間で、「ひいな人形」を使ってのままごと遊びのようなものが流行しました。これが京人形の始まりとも言われています。京人形は、頭、髪付、手足、小道具、着付など、その製作工程が細かく分業化されていて、それぞれが熟練した職人たちの手仕事によって行われています。現在、京人形と呼ばれるものには、雛人形をはじめ、五月人形、浮世人形、風俗人形、御所人形、市松人形などがあります。

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名古屋節句飾

名古屋節句飾は、3種類の工芸品「人形・幟旗(のぼりばた)類・雪洞」から成ります。人形は,京都と東京という二大産地に拮抗するとともに、東西の折衷様というべき様式が特徴です。幟旗類は,他所に見られない名古屋独特の大幟や腹部を鮮やかな黄色とした「黄腹の鯉」が特徴です。雪洞は美濃和紙、小原和紙などの良質の和紙や、木曽檜、松などの木工素材が豊富で折りたたみ不可など形状変更のできない火屋(ホヤ)物、火屋物提灯などが特徴です。

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駿河雛人形・雛具

静岡県志太郡では、江戸時代から、菅原道真を模した人形である「天神」が作られてきました。駿河雛人形は、天神に衣装を着せたことがルーツになっているという説があります。胸の部分の曲線がふくよかでやさしさあふれる雛人形。手の位置を決める「振り付け」は、職人の技の集約であり、個性の発揮しどころでもあるのです。
駿河雛具とは、台や屏風など、雛人形と一緒に飾る置物のことであり、嫁入り道具の雛形、つまりミニチュア版のことを指します。特徴は、本物の嫁入り道具そっくりな精巧な作りにあります。細かい部分まで本物と同じ工程で製作された駿河雛具は、生きた人間が実際にそれを使っている風景を、ありありと想像できるようなリアリティに満ち溢れているのです。

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江戸節句人形

今から約250年ほど前、徳川10代将軍家治の時代に京都から江戸に下った「次郎左衛門雛」の人形師が江戸に人形店を開きました。次郎左衛門雛は、家の中に飾りやすい小ぶりなサイズと、庶民的面持ちが江戸の庶民に受けて、広く普及しました。江戸節句人形の小型で写実的なスタイルは、この次郎左衛門雛がルーツだとされています。雛人形や五月人形、または市松人形、風俗人形などの衣装着人形と、実際の甲冑をもとに精巧に作られた江戸甲冑を総称して江戸節句人形と呼んでいます。 江戸節句人形は、本来戸外に飾られていた甲人形を室内に飾るために小型化したもので、写実的で精巧なつくりが特徴です。

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江戸木目込人形

木目込人形は今から約250年前の元文年間(1736~41)に京都で生まれ、その人形づくりの技法が江戸に伝わり「江戸木目込人形」が誕生しました。木目込みという名は、衣裳のひだや布切れの境となる部分に細い溝を彫り込み、そこに布を「きめこむ」ことから生まれています。「きめこむ」とはもともと「極めこむ」と書き、「中に入るものが、入れ物に隙間なく、うまく合うように入れる」という意味です。東京産の人形は、京都産が王朝風のふくよかな顔なのに対し、やや細面で目鼻立ちのはっきりした顔が特徴です。

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岩槻人形

岩槻人形の歴史は、江戸時代から始まりました。日光東照宮の造営にあたって全国から優れた工匠が集められました。その工匠が人形作りを始めました。岩槻人形の特徴は、頭と目がやや大きく、丸顔で愛らしい作りであること、華やかな彩色が使われていることです。また、人形の肌はなめらかで美しく、髪も人毛のような美しい仕上がりとなっています。

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博多人形

博多人形の歴史は古く、1600年黒田長政の筑前入国に伴って多くの職人が集められ、その職人達から素焼き人形が生れ、現在の伝統工芸の礎が作られたといわれています。素焼きの人形にそのまま着色することで土本来のぬくもりを感じられる人形です。素焼き人形でありながら、体のラインや衣服などの曲線が非常に繊細に作られていることが特徴です。

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尾崎人形

尾崎人形は、佐賀県の神埼町尾崎西分地区で700年以上ものあいだ、時代の流れの中で何度か途絶えながらも復活・継承されてきた焼き物の人形です。伝承によると元寇(弘安の役)の際、捕虜になった蒙古軍の兵士が故郷を偲んで人形を作り、吹き鳴らしたことが始まりといわれています。全てが手作業で作られているため、佇まいや表情、笛の音色、鈴の音にもひとつひとつ個性があり、とても味わい深くぬくもりある趣が多くの人に愛されています。

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首人形

全国各地に郷土玩具としてみられます。首人形を大別すると、①姉様遊び用の首人形、②芝居人形を玩具化した首人形、③からくり仕掛けの首人形、④風俗を題材とした首人形に分けられるが、このうち最も多いのが④です。

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運動人形

針金の先に重りが付いていて、人形を動かすとやじろべえと同じようにバランスをとりながら揺れ動く土製玩具「運動人形」。明治時代に流行した玩具で,全国にあります。それぞれ動くように工夫されています。

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中山人形

中山人形は、土人形ながら精巧な模様と明るい色彩が特徴です。天神様やお雛様、花魁などの伝統人形のほか、かまくらや梵天、竿燈など民俗行事をモチーフとした人形も数多く作られています。また、中山人形で人気の高い干支土鈴は、年賀切手のデザインに採用されたこともあり、広く名前が知られています。

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下川原焼土人形

江戸時代、陸奥弘前藩九代藩主の津軽寧親(つがるやすちか)は、津軽の地に子供たちの玩具が少ないことを憂い、雪深い冬の閑暇に土人形をつくるよう命じました。これが下川原焼土人形のはじまりといわれています。この土人形制作はそれ以来、今日まで約二百年間受け継がれています。現在は、当時の子供たちがおもちゃとして遊んだ鳩笛、津軽の風俗や行事を表現した風俗人形、庶民の需要に応じて作られた干支人形や蝋人形が作られています。

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目屋人形

岩木山と白神山地に囲まれる西目屋村。かつては県内有数の木炭産地でもあったこの村では、昭和の初めごろまで馬車の入り込めない山岳の細道を、炭俵を背負って里に降りるモンペ姿の娘子の姿が見られました。目屋人形はそのようなかわいらしい娘子をかたどった人形です。需要の衰えや後継者不足から昭和40年代には一旦途絶えてしまいましたが、近年その再現に成功し、現在に至っています。

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ねぶたハネト人形

ねぶたハネト人形は、青森ねぶた祭りで躍動するハネト姿をかたどったものです。イ草や浴衣地などを原材料に、頭の笠から足先まで一つ一つ手作業で細部に至るまで丁寧に作られています。今にも動きだしそうなハネトの表情は一体として同じものはありません。

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遠野附馬牛人形

遠野郷、附馬牛村において、小笠原家三代にわたって作られた土人形ですが、その源流は花巻人形や堤人形、京都の伏見人形にまでさかのぼるとも言われています。原料は和紙と遠野の土を練り合わせ型取りし、自然乾燥させたのち、下地として膠(にかわ)で溶いた胡粉を4~5回塗り乾燥後布で磨いて艶を出す。(これが白い顔などの部分として残る)次に赤・黄・紫その他の塗料や山いちご、山ぶどうなどを使った彩料で色付け仕上げます。
今も昔と変わらぬ製法の素朴な人形です。

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花巻人形

東北では仙台の堤人形に次ぐ歴史をもち、米沢の相良人形とともに東北の三大土人形の一つに数えられています。題材は内裏雛などの縁起物、昔話物、風俗物など広範囲にわたり、江戸時代には3月と5月の節句によく販売されていました。 伝承者の没後とだえてしまいましたが、昭和49年、地元の郷土玩具製作者と花巻市の努力により新たに再興され、現在も作り続けられています。

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越谷ひな人形

越谷のひな人形は、関東風として知られ、京風の人形に比べて形が大きく、きらびやかです。官女や五人囃子(ごにんばやし)の袴(はかま)のはかせ方も異なるといわれています。また,その気品にあふれた優雅な顔立ちで高く評価されています。それは江戸時代の手作りの技術が今に生きているからです。人形の手ひとつ、職人さんの手によって彫られており、現代の作品のようにプラスチックで型抜きされたものは何一つありません。そして、頭・胴・手足・飾り、それぞれ専門の職人による分業によって進められます。道具や屏風などひな段上の全てのものが越谷の職人さんで製作できるのも貴重なことです。

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所沢人形

歴史は、江戸中期まで遡り、その原型ともいえる人形作りは、所沢で始まったといわれています。所沢人形は、江戸末期、嘉永2年(1849年)に3軒の業者によって始められ、その後、人形製造者が増えました。主に、着付けを得意とし雛の里として発展してきました。所沢市の工芸士によって作られる人形は技術と経験から1体1体手作りで、長い時間をかけて丹精こめて作られます。近年では、ただ作るだけではなく、その培った技術と経験から、和服の帯の生地で雛人形の衣装を製作したり、着物の布地で押絵羽子板を製作したりといった、新しいことを試みている工芸士もいます。

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前橋びな

「ぐんまシルク」でつくるお雛様。
前橋市で製作されている。古くから人形づくりに用いられてきた伝統的塗装技術である桐塑胡粉(とうそごふん)技術によって作られています。衣裳の着付けの美しさが蛤袖の技法によってあらわれています。

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鴻巣びな

鴻巣市の前身となる鴻巣宿の時代から全国的な人形の産地として知られ「人形のまち」と称されています。この地で製作される雛人形は「鴻巣雛」あるいは「鴻巣人形」の名称で江戸時代から400年の歴史を持つ伝統工芸品となっており、近代関東三大ひな市(鴻巣、越谷、江戸十軒店)のひとつに数えられています。鴻巣で人形が作られ始めたきっかけは定かではありませんが、一説には江戸時代前期に京都の仏師が鴻巣に移り住み土雛を作り始めたのが最初であるともいわれています。江戸時代から明治期の「鴻巣雛」は着物に鳳凰の刺繍が施され、女雛は着物の袖から手を出さない形態のものが多いようですが、この着物の生地は、京都の西陣から買い付けていました。江戸時代から「ひな人形のまち」として知られる鴻巣では、現在も伝統の技術を守りながら質の高い「鴻巣びな」が製作され、「鴻巣びな」は埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。

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節句人形

節句人形は、「子供の健康と成長を願うもの」です。 子供の代わりに厄を引き受けたり、子孫繁栄を願うという意味もあります。 また人形を飾ることでお祝いをしたり、子供が無事に育ってくれるようにという願いが込められているのです。女の子は雛人形を3月3日に飾ります。男の子は五月人形といって5月5日に飾ります。

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市松人形

市松人形とは日本人形の一種です。子どもが無事に成長することが簡単ではなかった時代があったため、もともとは身代わりとして人形は使われていました。 時代も変わり、佐野川市松という美しい歌舞伎役者が出てくることで、身代わりとしての意味合いだけでなく、きれいな子に育ってほしいという願いが込められるようになったのです。おかっぱで振袖を着た女の子が代表的ですが、市松人形にも男女があり、男の子の人形もあります。また、時代によって見た目も徐々に変化しているようです。

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芝原人形

芝原人形は、元禄年間(1688~1704)より江戸浅草に伝わる人形です。今戸人形の流れをくむもので、房総の郷土玩具として知られる土人形でもあります。内裏雛や風俗人形、十二支、招き猫、えびす大黒、天神様などの縁起物が中心となっていますが、特に、明治時代のレトロ調をよく表現しており、顔には牡丹色のくま取りをし、着物には黄色い菊の花をあしらうなど、素朴な中にも華やかさを秘めた独特なおもむきを、かもし出しています。

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衣装着人形

人形の意匠を考え、人形頭師に桐塑(とうそ)製の頭を依頼し、それにあった生地を選び、裁断し、縫った布地の衣裳を着せ付け、手足を振り付ける技術の人形です。 100を越える工程を丹念に仕上げて、雛人形、五月人形などがあります。

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加賀人形

加賀藩4代藩主前田綱紀が京都より人形職人を招き、御所人形の製作修理にあたらせた事がはじまりと言われています。獅子舞や、纏を振る加賀鳶など、勇壮な姿ながら、いかにも京都の御所人形の流れを汲む上品さが特長です。桐のオガクズを糊で固めて型に入れ、貝殻の粉とニカワを混ぜてといた粉を何度も塗り重ねて、艶のある人形の肌をつくります。

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越前竹人形

軽くて丈夫、その上、年月を経るごとに色が変わって味が出る竹製品。その発祥はかなり古く、竹を武器として使った時代にまで遡ると言われています。特に福井では、厳寒の気候に耐えた良質の真竹や孟宗竹が多く見られ、様々な竹製品が生まれたのは、ごく自然なことだったと推測されています。
職人によって創意工夫され、昭和20年後半には飾りや小さな人形も作られるようになりました。それが現在『越前竹人形』につながるのです。それと同時に、福井出身の作家、水上勉氏の同名小説で、その存在は全国的にも知られるようになったのです。

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小幡人形

滋賀県東近江市五個荘小幡町で作られている伝統的な土人形。
小幡人形の歴史は古く、細居家の伝えでは享保年間(1716~36)に初代安兵衛が危険をともなう飛脚業から、安全で家内で出来る仕事への思案の末、京の伏見人形の製法を習い、小幡の地で土産物として作り初めたのが最初としています。小幡人形は美しい色彩が特徴で、年賀切手や年賀はがきの絵柄にも採用されました。種類は、節句人形・祭り神輿・信仰縁起・教訓・十二支等500種余りあり、大きさも90センチ~3センチの小さな物に至るまで様々です。

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京陶人形

京陶人形は京都で作られている素焼人形。
元々は伏見人形が原点にあります。素焼人形は、粘土で形をこしらえ、乾燥させ、850℃くらいの低火度で焼成し、顔料で彩色して仕上げたもので、全体が土という素材でありながら、やわらかなぬくもりを感じさせる深い味わいが特徴です。

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大和出雲人形

素朴な素焼の土人形大和出雲人形。奈良県桜井市出雲で作られている「大和出雲人形」。その起源はとても古く、その起源は古く、言い伝えでは相撲の始祖野見宿禰(のみのすくね)による埴輪の原点ともいわれます。やわらかい粘土を型に詰め、取り出した土の人形を接合し、成形する。1週間程、陰干し乾燥し、もみ殻で焼き上げ、胡粉に膠を混ぜて下塗りする。乾燥後、泥絵具で彩色して作られています。

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北條土人形

鳥取県の郷土玩具、北條土人形。
天明年間(1778-81)に備後の国から行商に来た備後屋治兵衛が、倉吉の素朴でつつましやかな娘に惹かれ、これを人形にしたといわれています。戦後、加藤廉兵衛さんが作り始めた土人形で、親しみを込め「れんべえ人形」とも呼ばれています。因幡、伯耆、出雲地方の民話や神話にちなんだ小型の土人形で、作り始められた頃は天神川の粘土を使って制作されておられたそうです。多くの蒐集家から愛された「れんべえ人形」ですが、平成24年に加藤廉兵衛さんがこの世を去り、残念ながら廃絶となりました。

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稲畑人形

稲畑人形は、丹波市氷上町稲畑の赤井若太郎忠常が、江戸末期の弘化3年(1846年)に創り出しました。美しい青色できめが細かく粘りの強い赤い粘土と、丹波霧の適度の湿りに恵まれて軽くしなやかな良質の原料に、伏見人形の流れをくみ、そこはかとなく漂う都の香りがして、素朴で親しみのある優雅で愛すべき情緒を称えるものとなり、全国に数ある土人形の中でも抜群の人気を集めました。人形の種類は、2百余種にも及んでいますが、天神様の気品、お多福のおかしみ、舞子の艶やかさ、虎加藤の逞しさ、金太郎の無邪気さなど、いずれも丹波の人情と風土が見事に溶け合って生まれた郷土の民芸品として、手にする人々の微笑みを誘っています。

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御坊人形

無病息災を願う子供の節句。日本ではお祝いとして人形を送る風習があります。和歌山県御坊市周辺では、古くから「御坊人形」が伝わってきました。天神さんや俵持ち、鯛狆、三番叟などさまざまな種類の御坊人形が仲良く並び、子供達の健やかな成長を見守っています。

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はこた人形

鳥取県中部、倉吉市のはこた人形は、天明年間(1778~81)から受け継がれてきた郷土玩具です。かつて、備後の国から行商に来た備後屋治兵衛が倉吉の素朴でつつましやかな娘に惹かれ、これを人形にしたといわれています。子供が怪我や病気をせず無事に育ってほしいという願いが込められたお守りです。

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とやま土人形

とやま土人形は、とやまの産業、伝統、風俗を取り入れて、一つひとつ真心をこめた手づくりの伝統民芸品です。代表的なものとしては、学問の神様である「天神様」、桃の節句に飾られる「抱き雛」があります。型に粘土を込めて焼く土人形は、古くは明治・大正時代からの型を使用しています。昔は型作りが専門の原型師と呼ばれる人がいましたが、土人形を作る工房が減るにつれて人が減り、今でも貴重な当時の型を大切に使い続けています。

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鬼剣舞面・鬼剣舞人形

鬼剣舞は北上地方に伝わっている岩手県の代表的な民俗芸能です。神・仏の化身となって邪気をはらい踊る、北上市の伝統芸能・鬼剣舞。各種の鬼面を付け勇壮で躍動的な踊りを繰り広げるその姿を人形やループタイなどに取り入れた各種鬼剣舞グッズで、厄除けの役目も兼ねています。

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江戸あねさま

町家・武家・花柳界・廓など、身分職業、年齢などによってはっきりした区別のあった日本髪。町娘か芸者か分からないような正体不明の<あねさま>は、江戸あねさまとは言えません。江戸あねさまは、こうした風俗を厳格・忠実に表すことをモットーとしています。町娘には初々しさを、芸者には粋を、大名の姫君には優雅な上品さを表現します。その姿には、洗練された美しさが漂います。

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三次人形

江戸時代から作り始めたと伝えられ、粘土を焼成し、彩色したもので、独特のつやがあり、別名「光人形」と呼ばれています。菅原道真をモデルとした天神さんを中心に、男物、女物、その他の人形(約140種類ある)で構成され、男の子、女の子の初節句のお祝いに親類、知人から頂いたそれぞれの人形を、4月3日の節句(旧暦)に、子供たちの健やかな成長を願い各家庭で飾ったという風習が三次地方を中心とした広島県北一帯で江戸時代から広く行われ、現在に至っています。

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高松嫁入人形

高松市には古くより、婚礼の際に花嫁が近隣に人形を配る風習があり、練り物による人形が作られてきました。様々な型に原土をつめて型取りし、地塗りと彩色を施して仕上げるもので、娘の幸せを願う親の心が込められた縁起物が数多くあります。今日ではこのような風習は見られなくなりましたが、高松の伝統的な郷土玩具として受け継がれています。

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弓野人形

博多人形師によって誕生しました。博多人形の完成された美に飽き足らない思いを抱いた人形師の原田亀次郎が、九州各地で修行した後、1882 年に弓野地区で製作した土人形が始まりと言われています。

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流しびな

「流し雛(ながしびな)」は「雛流し」とも言われ、雛まつりの原点とも言われる行事です。古くは「源氏物語」にもお払いをした人の形(かたしろ)を舟に乗せ須磨の海に流したと書かれています。
現代では、木の葉を用いた「形代」を使わずに、「桟俵(さんだわら)」という藁(わら)で舟をつくり、その中に紙塑(しそ)=(紙粘土)で作ったお人形と願い事を書き入れた紙を一緒に入れて川に流すという行事が行われています。

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紀州雛

「紀州雛」の起源は5世紀という説もあるほど古く、現在のような漆器のお雛様を作るようになったのは昭和初期から。以来、漆器の産地として名高い『紀州漆器(黒江塗)』の技法を伝承しながら、今も職人さんが一体一体手作業で作成されています。「紀州雛」は国産の天然素材の木地にこだわり、紀州漆器の漆塗や蒔絵などの伝統的な技法を用いて制作します。手のひらに乗るサイズのミカンのような形の木地に、赤色と青色の本漆を施し、蒔絵の技法で顔と着物を一体一体に手描きで描き込んでいきます。

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阿波踊り竹人形

阿波おどりの威勢のいいお噺子が今にも聞こえてきそうな竹人形。徳島県産の数種類の竹を使い、手作業で作られる人形は、ひとつひとつの動作や表情に特徴があり、阿波おどりの躍動感を見事に表現しています。竹製品は、化学製品にない素朴さと風合いの良さが見なおされ、生活用品のみでなく民芸品的なものも作られています。

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江戸甲冑

二百年以上、大きな内戦が起きなかった17〜19世紀中盤になると、親が男子の健やかな成長を願う端午の節句において、強さのシンボルともいえる大鎧を飾るようになった。その後、兜や鎧、それらを装着した五月人形を飾る習慣が庶民に浸透した。きらびやかな装飾を施した京都の甲冑に対し、江戸甲冑は入念な時代考証のもとに大鎧を再現し、重厚な意匠と質実剛健を特徴とする。子が成長してからも親が子を想う気持ちを感じてほしいという職人の想いは、頑丈で色褪せない風格を持った甲冑に注がれ、絶えることのない親の愛の結晶として子どもに受け継がれていく。

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越谷甲冑

越谷甲冑は、金工、漆工、皮革工芸、組紐など、さまざまな技法を駆使して作られていて、鮮やかな色彩と威厳のある風格が特徴です。明治時代以前は戦中の防具として使われてきましたが、現在では「端午の節句」という武者人形等を飾って男児の健やかな成長を願う行事の一環として、飾られることが多いです。

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宮城伝統こけし

伝統こけしは、江戸時代(文化・文政の頃)、東北各地で木のお椀やお盆などを挽く木地屋が、湯治場などの子どもの玩具として作ったものと思われます。こけしは東北だけに生まれ育った玩具ですから、東北地方特有の気風を持っており、その土地ごとに特徴があり、12の産地に系統分けされます。

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本荘こけし

明治期に鳴子(宮城県)からの木地師・高橋弥太郎が本荘の地へ移り住み、木地技術を伝えたことに始まります。そのルーツから鳴子こけしの制作方法を顕著に引き継いでおり、胴部が頭に比べて細身で、すらりとしたなで肩の立ち姿が特徴です。本荘こけしは、頭部を胴部にはめ込む構造のため首を回すと音が鳴るようになっています。この「はめ込み」の技には、熟練の技術が必要になります。

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遠刈田系湯田こけし

遠刈田系こけしは、遠刈田温泉を中心として発達しました。
現在、確認されている史実の中で発生年代が最も古く、こけしそのものが遠刈田から発生したと考えられています。頭部は比較的大きく、赤い放射状の手絡(てがら)が頭頂と額から鬢(びん)にかけたあたりに描かれる華やかなものと飾りのない黒いおかっぱ頭があります。切れ長の目に鼻筋のとおった大人っぽい女性の表情の描彩が印象的です。胴模様は重ね菊や菊から変化した模様が多く描かれますが、そのほかにも、梅・桜・井桁・木目など多彩な描彩パターンを有しています。また、牡丹・蝶・松葉・あやめなどの胴模様は、背面にワンポイントとして描かれることが多くあります。

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南部系覚平こけし

南部系こけしは、東北地方に古くから伝えられたロクロ挽きの可愛い郷土人形です。首がはめこみ式で、頭がくらくら動き、すこぶる運動的なのが特徴です。覚平型、要吉型、与始郎型、セン型等、いろいろな型のある伝統こけしで51種類あります。こけしの材料には、ミズキ、イタヤ、桜が使用されます。

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盛岡のこけし

盛岡のこけしは南部系と言われています。はめ込み式の頭が首を軸に動くことから「キナキナ坊」転じて「キナキナボッコ」と呼ばれ、元々はおしゃぶりから発展したものと言われています。本来は顔も胴模様も描かないものでしたが、他系の影響もあり、模様も施されるようになり、キクやボタン、ナデシコ、ツバキなど、花を描くことから花巻こけしとも言われています。

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雪焼けこけし

古来、岩手県一関市周辺の人々は、永い冬暮しの間、炭焼きなどをし、春から秋にかけて、瑞山の宿場より剛力として須川温泉の湯治客の荷物を背負い険しい山道を往復して歩いていました。これらの人々の赤黒く雪やけした顔を想起し、その素朴な姿を原木を用いて表現したのが雪やけこけしです。材料は、ヤマザクラ、ケヤキ、エンジュなどです。濃いめの木目が美しく、幅広い雰囲気の空間に似合いそうです。

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山形こけし

山形市にはふたつの系統が伝わり、「山形作並(さくなみ)系」は初代・小林倉治が万延元(1860)年、仙台藩作並の木地師に弟子入りし、その後、山形の旅籠町で木地業を開いたのが始まりで、「蔵王高湯系」は明治20(1887)年頃、福島の秋保方面から蔵王温泉に伝わったといわれています。東北地方の温泉場に誕生した伝統こけしは、かつて木地屋が子供の玩具として作ったのが始まりとされています。子どもの持ちやすさを考慮した、細い棒状の胴体が特徴です。

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土湯伝統こけし

土湯温泉(つちゆおんせん)は日本でも有名なこけしの里です。約300年前にこの温泉で、木の器などをつくる職人たちの間から土湯系こけしがうまれ、現在でも県内にはその流れをうけつぐたくさんの職人がいます。土湯伝統こけしは、頭が小さめで、胴体も細めです。頭には黒い円の模様が、顔には左右に長くおろした前髪と赤いカセ(髪かざり)が描かれています。胴の模様はロクロで描いた線を中心とした簡単なものが基本で、クジラのような目とたれさがった鼻、おちょぼ口と表情が明るいのが特徴です。頭を胴にはめる「はめ込み式」で、首を回すとキイキイと音を立てるのが愛らしくあたたかみがあり、多くの人に愛されています。土湯温泉は遠刈田、鳴子と並ぶ三大こけしの発祥地と言われています。蛇の目模様の頭、三日月眉にクジラ目、おちょぼ口など、愛らしい表情が人気です。

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伝統岳こけし

二本松市岳地区で製作されています。土湯系伝統こけしです。江戸時代中期の天明年間(1781年〜1789年)、安達太良山麓にひろがる岳温泉の湯治土産として、こけしや木地玩具がつくられ始めたといいます。特徴として,胴のもようがロクロ線を基調にかかれていること、頭に黒い円のロクロ線があること、頭と胴ははめこみ式で、回すとキュッキュッと音が出ることなどがあげられます。太い眉にダンゴ鼻、胴のもようは若竹色と赤色の大胆なロクロ線にいろどられており、土湯系がもつ素朴なやさしさを今に残しています。

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牡丹こけし

須賀川の鼻・牡丹を描いたこけしが作り始められたのは、今から約百年前。当初は、須賀川牡丹園のおみやげ品として作られました。創作こけしで、型が決まっていない分、自由で動きがあります。色鮮やかに描かれた満開の牡丹の花が大きな特徴で、表情豊かな目がかわいらしいこけしです。

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群馬のこけし

こけしと言うと、円筒形の胴体に丸い頭がついた細目の伝統的な木人形を思い浮かべますが、こけし業界ではこのこけしを「伝統こけし」と分類します。一方で、前橋で作られるこけしは「創作こけし」に分類され、伝統的なこけしのイメージにとらわれず、職人の創造性が形、色、表情に忠実に表れる点が特徴です。

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江戸押絵

東京都墨田区、江東区、葛飾区を中心に作られる工芸品です。布に綿をくるみ、それを板などの台紙に貼ることで立体的な絵を作成する技法で、特に羽子板が有名です。日本舞踊や日本画、歌舞伎などをもとに、振袖を着た女性や歌舞伎役者が伝統的なモチーフとして受け継がれています。

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奉公さん

昔、さぬき生駒の殿様時代(1587年-1640年)の話です。殿様のお姫さまに仕えているおマキという童女がいました。お姫さまが重い病にかかり、おマキが身代わりに、お姫さまの病を身に移しうけお姫さまが全快されるようにひたすら祈願をこめて、海のかなたの離れ島に流し人となり、短い一生をおえました。世の人たちは、おマキのことを、「奉公さん」と呼んで、あわれみ、そして誉めたたえ、そして人形につくられました。それが 今現在の高松の奉公さんです。赤色は、魔除けや病除けになると信じられていたため、赤い着物を着た奉公さんは、子供の守り神とされています。

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赤べこ

会津地方では牛のことをベコと呼びます。家内安全・無病息災・疫病退散として古来より愛される玩具です。体色の赤は魔除け、斑点は痘(とう)を表し、疫病除けのお守りとして古くから飾られていました。およそ1200年前、会津柳津福満虚空蔵尊圓蔵寺の建立の際、最後まで働き通したのが、赤色の牛と伝えられています。その赤色の牛にあやかり、壮健と疫病除けを祈り贈りものとしても古くから親しまれています。頭は胴体内に差し込まれる部分と張り子のようになっており、愛嬌のある顔に触れると上下左右に振り子運動を繰り返します。

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張子の虎

厄除けの願いを込めて飾る縁起物。虎は「一日にして千里を行き、千里を帰る」とのいわれがあり、強靭な生命力であらゆる厄災を振り払い家運隆盛を導くといわれています。虎は四方八方を睨み、魔を封じる魔除けとして、百獣の王としての出世虎として、戦えば必ず勝つことから戦勝虎の縁起物とされています。五月人形と一緒に飾ることがよく知られています。また,お正月に破魔弓と共に飾られることもあります。

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船渡張子

埼玉県の郷土玩具。
船渡産の張子は主に東京の亀戸天神で売られたので、“亀戸張子”とも呼ばれます。首振り張子や吊るし物の張子があり、造形の面白さとユーモアある表情の作品で知られています。

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松茸おかめ

船渡張子の一種。
松茸おかめのような「松茸もの」は日本各地にあって、子宝、子孫繁栄の願いから生まれた郷土玩具です。

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初辰猫

初詣で大阪随一の人気を誇る住吉大社(大阪市住吉区)には、月初めの辰(たつ)の日に4つの末社を巡拝する「初辰(はったつ)まいり」という縁日があります。特に「楠珺社(なんくんしゃ)」で毎月授かる「招福猫(しょうふくねこ)」は「初辰猫」として有名です。奇数月は左手を、偶数月には右手を挙げた小猫を毎月集め48体そろうと、満願成就の証として納めていただきます。そして一回り大きな招福猫と交換してもらい、今後のご繁栄を祈願します。

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お化けの金太

黒い鳥帽子に赤い顔、どんぐり目。ヒモを引くと、目玉がひっくり返って舌を出し、あかんベェをするというユーモラスな動きを見せてくれる、熊本県の伝統的な郷土玩具。江戸時代から作られており、仕掛けとなる竹バネ作りが出来上がりを左右するといわれています。加藤清正が熊本城を築いた頃に、顔立ちが面白く、人を笑わせることが上手な金太という人気者の足軽がいました。「おどけの金太」と呼ばれ、この金太の伝説をもとに、嘉永年間(1848〜1853)に人形師の西陣屋彦七がからくり人形を作り出したのが原型といわれています。のちに「おばけの金太」や別名「目くり出し人形」とも呼ばれるようになりました。

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鯛ぼんぼり

新潟県には古くから県内各地に様々な灯玩具があります。『村上の鯛ぼんぼり』、『三条の鯛車』、『新発田の金魚台輪』など、この地方の夏の風物詩として有名です。竹の骨組みに和紙を張って中にあかりを灯し、夏の夜に子供たちが曳いて遊んだといいます。村上市の沖合にある粟島の鯛網漁にちなんで生まれたとも言われています。

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真弓馬

茨城県の郷土玩具。
真弓馬はもとは、良馬を産した常陸太田市真弓町の山間部でつくられました。真弓馬のはっきりした起源は不明ですが、平安時代末期に、源義家が奥州征伐の途中に常陸の国に立ち寄り、戦勝を祈願して真弓神社に神馬と弓を奉納したという故事にちなんで、江戸時代に、良馬の生産を促そうと徳川光圀が考案したとも言われています。もともとは、真弓神社周辺の農民たちが農閑期に真弓馬をつくり、真弓神社の境内で参拝者に販売していたもので、やがて村松山虚空蔵堂で授与されるようになりました。

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獅子頭

獅子舞に使用する木製の獅子の頭をかたどったもの。「魔除け」「厄除け」「お祝い」など縁起の良い守り神です。お正月やお祭りなどの祭礼用はもちろんのこと、舞台や芸妓さんの舞に用いられることもあります。
獅子頭をかぶって舞う舞のことを獅子舞と呼び,五穀豊穣祈念や悪魔,鬼を祓い清めるとされています。

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ざるかぶり犬

犬張り子は縁起物のため、お宮参りはもちろん、安産祈願のお守りとして使われることがあります。邪霊を払う効能もあると伝えられている人形です。犬の上に竹を乗せることで「笑」という字に似ることから、「笑顔の絶えない元気な子に育つように」との願いを込めた笑門来福の縁起物です。

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羽子板

お正月に飾る羽子板は、押し絵が施されていたり,松竹梅などの縁起のよい絵柄が描かれているもので,厄除けや無病息災の意味をもつ「女の子のお守り」です。装飾が施されていないものは,お正月の遊びの羽根つきに用います。

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春日部押絵羽子板

春日部の名産品として名高い押絵羽子板。
戦後にかけて、浅草の押絵師たちが戦禍と雑踏から逃れ、良質の桐の産地であった春日部に移り住んだことに始まります。すべてが手づくり。全部で50~70もの材料を組み合わせおよそ200もの工程をかけて一枚の押絵羽子板として仕上げられます。男物は不景気をはねのける縁起物として、女物は祝い物として飾られています。

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天狗

今から約540年ほど前、迦葉山弥勒寺に入山した僧侶の一人中峰は不思議な力を有し、数十年間寺院の繁栄に活躍しましたが、何故か容姿は少年のままだったといいます。最後は天狗に変身し昇天したといわれ、そのあとに天狗面が残されていたことから天狗面信仰が始まりました。
参拝の際に天狗面を借りて帰り、願いが成就したら新しい面とともに奉納する慣わしがあります。赤く睨みをきかせた顔に特徴があり、創業当時から変わらぬ手作業で造られています。

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のぼり猿

延岡に古くから伝わる郷土玩具で、江戸時代から延岡藩の武士の妻たちが手内職として作り始めたとされ、張り子の猿は菖蒲絵の幟(のぼり)にさげられ、風を受けると竿を伝って昇ります。これは、子供の立身出世、無病息災、五穀豊穣を願ったもので、端午の節句に鯉のぼりと一緒に揚げられていました。

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羊土鈴

土鈴(どれい)とは、陶製の鈴で、中国では古くから厄除けのお守りとして愛用されていました。 土鈴の歴史は大変古く、はるか縄文時代までさかのぼります。 古来より、鈴の音は徐魔(魔除け)の力を持つといわれ、現在に至るまで神事に用いられてきています。 土鈴もまた、その音色により福を招き、悪魔を払う祭礼用とされていたようです。十二支にちなんで,それぞれの動物をかたどった土鈴があります。その干支の一年が幸せでありますようにとの願いから作られています。

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巳土鈴

土鈴(どれい)とは、陶製の鈴で、中国では古くから厄除けのお守りとして愛用されていました。 土鈴の歴史は大変古く、はるか縄文時代までさかのぼります。 古来より、鈴の音は徐魔(魔除け)の力を持つといわれ、現在に至るまで神事に用いられてきています。 土鈴もまた、その音色により福を招き、悪魔を払う祭礼用とされていたようです。十二支にちなんで,それぞれの動物をかたどった土鈴があります。その干支の一年が幸せでありますようにとの願いから作られています。

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翁さん

笑いをたたえた肉づきのよい表情で、切顎(下顎が切り離されている)、「ぼうぼう眉」と呼ばれる白い飾り眉で、目はへの字形のふくよかな顔をしています。 それは寿詞をのべることを象徴的に表現したものともいわれます。 翁が何者を表しているかは諸説がありますが、土着の神の猿楽化とも、寺院における呪師芸の猿楽化ともいわれています。

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天神様

天神様とは、平安時代随一の学者・文人、政治家であり、「学問の神様」として知られる菅原道真公のことです。道真公が亡くなると、その才能や真面目でひたむきな人柄から、天神様として崇められるようになりました。江戸時代に入ると、子どもたちが学ぶ寺子屋の普及とともに、天神様は学問の神、書道の神として、また子どもの守り神として慕われるようになりました。

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戸部蛙

愛知県名古屋市の旧・戸部村に伝わる郷土玩具。土のカエルを素焼きして着色したもの。外出の際、目の前を横切るものはすべて手討ちにしていた乱暴な殿様が、眼前を横切ったカエルのすばやさに心を奪われ手討ちにできなかった、という昔話にちなむものです。「命拾いをして無事にカエル」といった願いを込め、瓦職人が粘土でカエルを作り、笠寺観音の参道で売ったのが始まりとされています。

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鯉のぼり

日本の風習で、江戸時代に武家で始まった端午の節句に男児の健やかな成長を願って家庭の庭先に飾る鯉の形に模して作ったのぼり。紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描いたもので、風を受けてたなびくようになっています。中国の故事「登竜門」が由来とされています。「登竜門」は、山奥にある流れの速い滝(竜門)を立派に登り切った「こい」が、龍(りゅう)になって天に上る話です。そのため「こい」は逆境や苦難を乗り越えて立身出世する縁起物として扱われています。また「こい」が沼でも池でも生きられる強い生命力を持っていることも理由のひとつです。こいのぼりには「立身出世」と「健康的で強く育つように」との2つの願いが込められています。

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だるま

だるまは、達磨が偉いお坊さんであったこと、めったに倒れず倒れてもすぐに起き上がることから、倒産せず商売繁盛、「七転び八起」(何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること)で縁起が良いとされ、大願成就、病除け、五穀豊穣などの願いが託されるようになりました。多くは赤色の張子(はりこ)で製作されます。達磨が壁に向かって座禅を続けて(面壁九年)手足が腐ってしまったという伝説にちなみ、手足がなく、顔が大きいのが特徴です。白目のまま販売され、祈願のため左目に黒目を書き入れ、成就すると右にも黒目を入れる「目入れだるま」の風習が、江戸で文化年間に始まって以降続いています。

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うるしダルマ

若狭うるしダルマは、普通の丸いダルマと違って土台がどっしりとした形が特徴で,数ある民芸品の中でも人気があります。
若狭の漆工芸の技術を駆使して,様々な形や表情のものが作られています。
底が平らで絶対転ばないことから、縁起物の「合格ダルマ」としてとても人気です。

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親子だるま

山梨県で生まれた親子縁起のだるまです。全国に数あるご当地だるまの中でも、子だるまをお腹に抱いたどこかユーモラスで奇抜なデザインは、いつしか家内安全と子孫繁栄を祈る人々に永く愛され続けてきました。子なのにヒゲがあるのは、親よりも立派になってほしいという親心から。独特な愛らしい姿で人気を集めています。

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三角だるま

三角達磨は起上がり小坊師のひとつで、その昔から七転び八起きを願い, 農村にあっては蚕がよく起きるように、漁村にあっては舟が嵐にあっても 早く浮き上がれるように、また病気や災いなどから早く再起できるようにと願いをかけた縁起物です。「七転び八起き」「無病息災」「家内安全」「厄除け」を願い、市(いち)や縁日などで販売されていました。
厚紙を円錐形に作り底に粘土を重しとして付け、和紙を貼り、色付けした物でその形の珍しさでは全国的に類を見ず、新潟県を代表する民芸品になっています。

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善知鳥彫ダルマ

約100年前に誕生の工芸品「善知鳥彫ダルマ」
赤い服にぎょろりとした目が特徴の工芸品です。
名称となっている善知鳥は、昔、青森県にいたという鳥にちなんで付けられています。材料には、軽くて柔らかいポプラやヒバが用いられており、通常目にすることができるだるまとは全く異なった印象を与えてくれます。形としては深紅の衣に包まれた細身の状態で前方を見据えるという独特な風貌となり、これは、悟りを開いて座禅から立ち上がって、足を前に踏み出そうとしている姿を表現したものとなっています。

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姫だるま

姫だるまは、家庭円満・商売繁盛を願っただるまで、その想いは松竹梅と菱形に込められています。家庭円満では、松竹梅の松がお父さん・梅がお母さん・竹が子どもを表しています。頭の金の菱形は、家庭の中で女性(母)が太陽のように笑って過ごせますようにという願いが込められています。背中の宝珠は厄除けを表し、宝珠を逆さすると女性の子宮を模しているため、子宝・子孫繁栄にもご利益があると言われています。
子どもが遊ぶと健やかに育ち、病人が飾ると起き上がるのが早くなると言われており、結婚祝いや出産祝いなどに贈られることが多いです。一般的な日本の「だるま」は張り子の人形で手足がなく、赤い衣装を着た僧侶の姿をしており、底を重くして、倒してもすぐ起き上がるように作られていますが,右図の「姫だるま」のように女性をモデルにしただるまは珍しいものです。

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越谷張子だるま

埼玉県越谷市、春日部市などで生産される張子のだるま人形。越谷でつくられるようになったのは、主な出荷先であった江戸に近く、他の地域に比べて、運搬中にだるま同士がぶつかって壊れることが少なかったことが背景にあるといわれています。越谷張子だるまは他の産地のだるま等に比較して、色が白く、やや鼻が高い、上品で優しい顔立ち、「やさしくて美男子」な表情が特色のひとつです。

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本荘ごてんまり

由利本荘市で生産されている手芸品。手まりを起源とし、独特の刺繍を施した球体の三方に房をつけた手工芸品です。 色彩豊かな糸から紡ぎ出される精緻な模様と技の粋とも言える美しさが、装飾品や贈答品として高く評価されています。

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張子の金のベコッコ

岩手県花巻市で主に作られています。古来南部は佐渡と共に産金国として有名で、この繁栄を子孫に永く伝えようと砂金で牛の形をつくり、家宝として大切にされてきたのが、この黄金牛の始まりと言われています。
手すき和紙を幾重にも張り合わせ、首振りの牛型玩具として、完成させた郷土玩具です。幸運と商売繁昌のマスコットとして愛好されています。

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六原張り子

約60年前から岩手で作られている張子です。
県内産の東和町(現 花巻市)成島の和紙を用い、独自の「裏張り」の技法で和紙面や和紙人形などの張り子を作っています。伝統の鬼剣舞面や神楽面、その年々の“干支”の人形など、軽くて丈夫な素朴な味わいが好評です。和紙面は軽くてよく周囲が見え、呼吸も楽。和紙人形は素朴な味わいで部屋のインテリア等に人気があります。

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忍び駒

花巻地方で古くから縁結びや子孫繁栄、五穀豊穣などの祈願の使い駒として円万寺観音に伝えられている藁の馬人形です。
素朴さが魅力で、稲わらでかたどられ、美しい布で飾られています。
裸の馬の状態で人目を忍んで祈願して、願いが叶った時に先に供えた馬をこっそり持ち帰り、美しい色布,鈴など華やかな飾り付けをしてお礼参りをするという風習もありました。

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チャグチャグ馬コ

“チャグチャグ”と鳴り響く鈴の音とともに、南部盛岡の街なかを馬コが練り歩きます。「チャグチャグ馬コ」とは、華やかな装束を着飾った農用馬が、滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡市の盛岡八幡宮までの約14kmの道のりを行進する岩手県の伝統行事です。
馬のあでやかな飾り付けとたくさんの鈴が特徴で、歩くたびにチャグチャグと鳴る鈴の音が名称の由来といわれています。 馬の飾りは、大名行列に使われた「小荷駄装束」に端を発するといわれ、色とりどりの装束に身を包んだ馬が行進する様子は圧巻です。 また、そのように馬を飾り付けるのは愛馬精神のあらわれともいえるでしょう。

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山形張り子

幕末の頃、京都の士渋江長四郎が下条町に土着し、京都嵯峨人形の手法によって作ったのが始まりとされる山形張子。 木型に和紙を水張りし、さらに上質和紙を貼り重ね、天日で乾燥させます。 切り込みを入れて木型から外したら、貝殻をすりつぶした顔料を塗り重ね、絵付けをして完成。ダルマや干支にまつわる動物など、数百個の木型が先代から受け継がれています。

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起上り小法師

福島県会津若松市で毎年1月10日に開かれる十日市と呼ばれる初市で、縁起物として売られている張り子細工のことをいいます。起き上がり小法師は、実に400年以上もの歴史を持つ会津の伝統的な工芸品です。江戸時代初期に会津藩主が藩士たちの冬の間の内職として作らせ、正月に売り出したのが始まりとされています。3cmほどの手のひらに乗る大きさが特徴で、胴が赤、頭が黒で、目、まゆ、口が細い線で描かれています。その姿がなんともかわいらしく、心をなごませてくれます。家族の数よりも1つ多く買うのが習わしです。家族の安全と発展を祈り、小さな体で元気に働き、転んでも起き上がることを願ったものです。転んでも転んでもすぐに起き上がる様子から、「七転八起」といって古くから縁起物として有名です。

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三春駒

福島県の城下町三春の伝統工芸品。日本三大駒の一つとしても知られています。平安時代の武官・坂上田村麻呂が、793年に蝦夷討伐の際に苦戦していたところ、どこからともなく現われた木馬に助けられたという伝説に由来する「高柴子育木馬」が発祥と言われ、子育てのお守りとされた一寸大の馬型木彫が原形です。「三春駒」の特徴は、すべて直線で造られていて美しい上品な完成された紋様にあることです。子宝・安産・子育てのお守りとして作られ、白駒は老後安泰・長寿のお守りとして作られています。

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三春張り子

福島県三春町で製作されている張り子人形。
その昔、三春藩主が江戸より張子職人を呼び寄せ、参勤交代の時に歌舞伎や伝説上の主人公の人形を土産としたのが始まりといわれています。 木型に濡らした和紙を貼り、自然乾燥して型から抜き取り彩色し,優雅で動きのあるのびのびとした形が特徴です。雛人形や歌舞伎・浮世絵に題材をとる人形まで多くの種類があります。

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初音

起き上がり小法師、風車とともに会津の縁起物の一つで、江戸時代から昭和40年頃まで、正月の縁起物として元旦の午前中のみ販売され子供たちがそれを吹いて遊びました。小さな竹笛で、輪切りの竹に吹き口が着いているだけの簡単なものです。親指と中指または人差し指で穴を押さえ、赤い糸が巻いてある口の部分を吹く。吹くとウグイスの鳴き声のような音を出す縁起物。長い冬にほのかに春の到来を匂わせる、心がほっこりする民芸品です。

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ふくべ細工

ふくべとは、夕顔の実のことです。夕顔の実の果肉を、細長くむいて乾燥させたものが、栃木県の特産品のかんぴょうです。ふくべ細工は、大きく成熟したふくべの果肉を取り除き、外皮を乾燥させたものを材料として作られます。ふくべの形を活かして、墨入れや花器、小物入れなどに加工され、利用されるほか、表面に色鮮やかに絵付けされた人形や、伝説の百目鬼(どうめき)をもとにした魔除けの面などが土産品として有名です。

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黄鮒

昔、宇都宮地内に、天然痘が流行して多くの病人が出ました。そこで村人は神に祈り、病気の平癒を願います。ある日、信心深い一人の村人が、病人に与えるために郷土を流れる田川へ魚を釣りに出かけ、鯛のように大きくて変わった黄色い鮒を釣り上げました。これを病人に与えたところ、病気がたちどころに治ったのです。村人たちはこれを神に感謝し、また病気除けとして、この黄鮒を型取り、毎年新年に神に備えるようになりました。張り子でつくられており、塗りは、特別な絵の具を使用し、光沢があり、色あせが少ないのが特徴です。今では、その愛らしい姿から宇都宮土産としても展開されている黄鮒ですが、無病息災を願って玄関先に飾る風習が残っています。

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下野しぼり

下野しぼりとは和紙を加工する技法で、栃木県小山市無形文化財に指定されています。奈良時代に弓削道鏡によって下野の国に伝えられたといわれております手仕事によって生まれる風雅なしぼり目は、布のような手触りや木・革のような味わいを醸し出し、丈夫で色褪せないのが特徴です。下野しぼりで作られた人形が有名です。

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榛名の木目込

榛名の木目込みは、分業ではなく、頭と胴仕上げが一貫生産されていることからオリジナル性が高く種類も豊富です。
また、頭職人の店主作の衣装着の親王の頭等も桐塑や木彫などで注文に応じています。特に木彫は手彫りになるため、必然的に1品物であり、桐塑よりも希少性が高いものです。3月、5月の節句品、各種の祝事の記念品、土産などに喜ばれています。

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手がき鯉のぼり

埼玉県加須(かぞ)市で生産されていた手描きの鯉のぼり。
江戸時代の末に、提灯職人や傘職人が注文の片手間に作り始めたのが製造の起源とされます。2016年、市内で唯一手描き鯉のぼりの製造を続けていた「橋本弥喜智(やきち)商店」が職人の高齢化を理由に閉店、歴史に幕を下ろしましたが、今なお、市内には3軒のこいのぼり製造及び販売店があり、加須市のこいのぼり生産量は日本有数となっており、市民が誇る特産品となっています。

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甲州武者のぼり・鯉のぼり

戦国時代、天下泰平を目指す戦陣にひるがえった旗指物や吹流しが、江戸時代後半に端午の節句の祝いののぼりとして立てられるようになったのが、起源と伝えられています。山梨でも江戸末期頃から、我が子が武田信玄公のように強く大きく育ってほしいという願いを込め、勇敢な武者絵巻として端午の節句ののぼりとして立て始められました。代々受け継がれている下絵(川中島の戦い、富士の巻狩りの絵)と鮮やかな色合いが特徴です。

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